帝劇の怪人になりたかった

ミュージカルとかオペラとかが好きなたまに歌ったり演じたりする女の壁打ち

皇后というより武家の女みたいな「ich gehöre nur mir」

オーストラリアの女優さんだったか

大昔Youtubeで転がってたエリザベートの「ich gehöre nur mir」をみたことがある。

 

ずっと探してても見つからなくて誰の動画かわからなくなったんだけど「これ皇后じゃねえなあ」と感じた。

 

なんつうかな。自由に育った情に篤いお武家の姫さんが「貴婦人」にたたき上げられてずっと格上のところに輿入れしたような。

 

とか思ってたらエリザベートの翻案ミュージカルで篤姫という妄想が自分の中で始まってしまった。

 

太后と女官に詰め寄られる「皇后の務め」が「たとえ近衛家の後ろ盾あっても そなたは薄汚い薩摩の田舎者です」「上様に何を吹き込むつもりか?」「討幕派の犬が」

とか大年寄に詰め寄られ「そのような意思などもってはおりませぬ!」と全力で否定するのに信頼して貰えないと苦しむとか。

 

夜のボートで「余には夢がある」「太平の世を守りたい」「力を貸してはくれぬか」と歌う家定。

 

「ich gehöre nur mir」で討幕に傾いていく薩摩藩を見て分家とはいえ島津家の出身の天璋院は薩摩と通じているんじゃないかと疑われて「自分はもう島津の女ではない」と言い切ってほしい。

 

「さらば愛した故郷の海よ さらば愛した故郷の山よ 今お前たちに分かれ告げよう」

って薩摩ゆかりのものをすべて手放しながら歌うのが見たい。

 

(「武家の女性の矜持」だと伝わり難いと思うので)「父祖が守り続けた太平を守りたい」と打ち明けてくれた夫・家定への愛の証として、自分は「徳川家」の人間として幕府を最後まで守る!と歌ってほしい。

 

ハプスブルグ帝国の崩壊が始まるように、徳川幕府がどんどんガタガタになったり、

 

内乱でどんどん人が死んでいくし、子供の頃の顔なじみが幕府の敵に回ってしまったりとかいうショックを翻案でやってはくれないだろうか。

 

シルヴェスター・リーヴァイはいっそのこと篤姫のミュージカル曲書いてくれんだろうか。

 

 

帝劇ムーランルージュ看板ギャリギャリ事件から陽キャ様からみた観劇というイメージについて考えてみた。

togetter.com

 

コレから観劇をする人についての陽キャ様のお考えを読み解いてみようと思う。

 

婚活でもディズニーが好きだと敬遠される、観劇が趣味というと「金のかかる女」と嫌な顔をされるからとかなんとかいう記事がどこかに上がっていたような気がする。

 

学歴の低いバカとは関わるのはごめんだが、金のかかる教養を身に付けているような女は鼻につくと感じているであろうと。

 

じゃあ害にならない金のかからない趣味って何だ?畳の目を数えるとか?

節約が趣味で節約した金を自由に使わせてくれる相手がいいとか?

 

うわ婚活市場最悪だな。

 

閑話休題

 

陽キャ様は「お勉強っぽい」もの、「お上品ぶったもの」が嫌いだし、そういうものとそういうものを好き好んでる人種に唾を吐きかけるのがクールであり、そういう破壊的なことをして注目を集める人間を称賛するのが陽キャ様にご追従あそばされるキョロ中充なのではないか。

 

「セレブリティ」という「成金」は好きでもガチの「貴族」は嫌い。

だからそういう人種が好きそうな金のかかった趣味の牙城を巨人の足の小指一本くらいでも崩してやった!っていうのが彼らとしてはスカッとすることなのか。

 

そんなに鼻持ちならない上級国民がムカつくなら帝劇のエントランスでケチなことしてないで近くの東京宝塚劇場でも乱入してキラキラ歌劇をぶち壊してやるくらいの気概を見せてみやがれ。

お前らの大嫌いな上級国民の娘ばっかり出てるぞ。

上品で華やかキラキラの世界が大好きな女なんて中指おったてるくらいむかつくんだろ?

そういう奴の鼻を明かしてみろ。

 

大階段でギャリギャリして大技決めてドヤ顔するくらいの反骨精神もないくせに。

 

路上でギャリギャリやってるスケボー族はガラの悪さも標準装備なのか?ってくらいアレな奴が目に付くのにそういう変なところで小心者なのが笑わせてくれるわと。

 

スケボー族だけでなく陽キャ様とキョロ充さまの生態の考察に話を戻す。

 

別の側面としては、嫌いなものが「主張している」ことが気に食わない。

自分と関係ない人間が主張しているのを見ることで自分の権利が侵害される!

 

ムカつくものはこうげきだ!

こうげきすることをおれらはゆるされている!

 

それは何故か?だって「お上品」な連中は自分達より恵まれている強者なんだから。

それを好む人間が彼らから見て気に食わない属性(暗い、容姿が悪い、気の利いたことを言えないとかなんとか)を持っている人間だったら攻撃は一層激しくなる。

 

強者を叩きのめすヒーロー!

という感覚が愉悦になるんだろうかなあと感じる。

 

そういう目で見られるのが面倒で観劇が好きとか言えないし、「観劇が好き?金持ってるんだろオレにその金を使え!」みたいな異性に会って嫌な思いをするのも嫌だから人と深くかかわることを回避するという人は少なからずいるんじゃないのと思う。

 

他人が何か主張したところであなたの権利は奪われないし、給料がその主張してる誰かに奪われるわけでもないんだから「ああ、コイツ馬鹿なんだなあ」と天皇陛下が病人を憐れむときのような目で見てれば大概のことはどうでも良くなると思うんだが。

 

わし陰キャだから陽キャ様とキョロ充様のお考えはうかがうことしかできないや。

 

へぼ侍@博品館劇場みてきた!



 

博品館劇場、入場してチケットもぎられるとチラシと俳優さんのミニプロマイドもらえますた。

ヒロインお鈴役の人でやったーとなるわし。

 

 

んでロビーに飾られた主人公の軍服姿の立て看板

鬼滅の刃かなとなった。

 

鬼殺隊の隊服は、明治初期の軍服の影響で詰襟の上着

下はたっつけ袴に足にはゲートルを巻いてと和洋折衷なデザインなんですなと

ふと思ったり。

 

いやもういっそのことOSKで鬼滅の刃してくれないかな。

翼さんが炭治郎くんで(無理を言うな)

 

 

オケはちゃんとあるのか?と不安だったけど舞台前オケピはないが舞台後ろにあるっぽい

音出ししてる!やったー!!となるわし。 

 

客席にはチラシと協賛企業のおみやげがセットされてる。

 

 

リピーター特典キャンペーン?
リピートしたいよ!でも完売御礼でこの日しか取れんかったのだよ!

 

オーバチュアに明治初期の話かかからむからかトコトンヤレ節が流れて鬼滅の刃感がマシマシになる 。

刀鍛冶の郷で甘露寺さんが歌ってたあの歌はこのオーバーチュアの曲。

 

第二次大戦下、ある記者が西南戦争を生き抜いたかつての少年兵にインタビューをされるというところからスタート 。

 

幕末に没落し武家の子弟ながら薬屋の奉公に入った主人公、西南戦争に出兵する兵士の募集に何とか潜り込み、戦う者として身をたてる!と兵士になるけど戦ううちに自分が信じていた武勲を立てることについて疑問を抱くようになる、という話。

 

「記者」がこのお話の重要なカギになっていて、

冒頭に記者が主人公から

 

「正面きって戦うことだけが戦うことでも敵兵を討ち取ることだけが戦果でもない。生き残れば必ず次の戦果に繋げていける」

 

第2次大戦下の大阪の市井の人々の空気を冷めた目で見ながら諭される。

 

「華々しく戦場で戦って死を遂げる」という武士の戦いの美学とは真逆の「武士らしくない」生き汚さを「へぼ侍」と自虐的にいっている?というのがわしの印象かな。

 

 

ここが良かった

先輩一ズの博打好きの色男松岡殿と中尉殿!

中尉殿と歌うまで気になった記者さんは目で追っちゃう。

理屈なしに贔屓を見つけるというのがわかった気がする。

 

主人公、商家での奉公から獲た経験からあれこれ対処を思いつき身を救ったり仲間を探し当てたりという武士らしくない、というけどゲリラ戦とか情報戦向けの戦術を考えて立ち回れる賢さがあるタイプ。

武器をとって正面きって戦うことだけが戦うことじゃない

薩軍軍票を上方で売って前線での資金を稼ぐというのが現金でまあ楽しい!ウッハウッハとなるナンバーと浮かれて踊るのが見てるこっちも楽しくなってくるのがいい。

 

1幕の終わりのあれどこのレ・ミゼラブルですかとなった。

 

主人公とお鈴がバルジャンとコゼット、女郎と女郎屋のあんちゃんがテナルディエ夫妻、薩摩側の兵士が学生たち 

 

みたいな。

 

2幕で敗走した西郷を追う任務を追う主人公、記者と一緒に薩摩に行商として潜り込む 。

 

買った膏薬が良く効いたとうちの旦那があんたに礼を言いたいと土地の人の家に招かれる。

出会った昔武士だったという主人、映像をうまく使って主人に勧められた酒に酔った主人公のみた夢だったのかという描写、いぶかしんでいたらじつはあの主人が西郷で、膏薬の礼をしたためた手紙を残して逃げられてしまう。

 

松岡殿の正体、本当は没落したお武家さんではなく賭場で死んだ「士族の松岡」に成り代わって兵士になったのを中尉殿に見破られるエピソードがたまらなかった。

 

「オレは偽物かもしれないがオレは本当の侍になりたかった」

「オレの戦果は嘘じゃない」

 

っていうのがねえ!

良いよね!美学ある影のある男大好きだよちくしょう。

 

そしてそれを誰にも明かさない中尉殿!

たまらんですな。

男の美学、戦う者の気高さとか優しさの輝きを描くのに適しているのが命のやり取りのある場所なのかもなぁと思ったり。

 

兵を除隊した主人公はヒロインお鈴を女郎屋から救って結婚、妻を伴って大阪に帰り、かつての奉公先である薬屋に「アンタんとこの商品に西郷の傷を癒した膏薬という箔がついた!」と付加価値をちらつかせて記者と東京でジャーナリストという戦い方を学びに行く資金を集め、自分の出版社を設立し「戦果」を挙げていく 。

 

冒頭の記者、第二次大戦を経て日本を戻ってきて主人公の戦い方と彼を導き、政治家になった記者犬養の戦い方の価値について噛みしめ、また意志が新しい時代に受け継がれていく、というエンディングになる。

 

 

2幕エンディングに主役の翼の挨拶、エンディングにパラソル持って歌うOSKのテーマソングというべき桜咲く国 。

 

あーWikipediaで見たやつ!とパラソルを使ったダンスにまたぶち上がったり。

 

配役は番手ありき、上手でも下級生はアンサンブルではなく上級生でも抜かれるのは当たり前、という方が作品の質が上がると思った。 

 

あとなんかな。ノリがユニバのショーの空気ににてるんですな。 

実力あるからここにいますが?という自負はあっても「自分は選ばれた特別な存在なのよ!」という嫌みがない感じ。

 

自分今の宝塚より昭和の宝塚が好きなんですな。

宝塚が大きくなりすぎて、映画より安く気軽にレビューをみられる時代が遠い昔になって失ったものがある、というか。 

 

宝塚は今まで長らく独り勝ちして「生活がヅカ」というファンに甘えてきてジェンヌさんや裏方スタッフをやりがい搾取で捨て駒扱いたことを顧みてほしい。

 

また見に行くよOSK。うん。好きだよOSK。

 

さくーらさーくーくにーさくーらさーくーらーってすごくキャッチーで素敵な歌だと思う。

 

帰り路ずっと頭の中をぐるぐるしてた。すっごく幸せな気持ちになれる。

ケン・ヒル版オペラ座の怪人もとい我が名は人間ストーカーおじさん!見て来たんだ

我が名は人間推しの為なら息するように人を殺すストーカーおじさん!

格調が吹っ飛んで一気にギャグマンガテイストになりましたな。吸血鬼すぐ死ぬかよ。


訳:10年ぶりに生の舞台を見に行った人間が吠えたくなったので聞いてくれ

 


新宿ピカデリーのキンキーブーツの上映を見に行って、そしてこの1月、
ケン・ヒル版のオペラ座の怪人を見に行ってきた。
ポール・ポッツの生歌を聞けるのが嬉しくてたまらなかった。

大昔シアターコクーンに行ったことはあるが、渋谷という街は若者の暗黒街となる前の
ストリートカルチャー云々という時代を知ってる人間からすると
陰キャが行ってはいけない街、非リアのモルドールというイメージがあるので
行くのに躊躇する街なんですな。

ホラ、バカが東大の構内歩いてたら血祭りにされそうな感じというか。

 

シアターオーブ初めて行ったよ。
駅直結ということで2階の中央改札を出て正面の階段を下りその階のエレベーターで11階までビューン!と到着。
渋谷怖いけどこれならなんとか。

 


ホール内に入りますと深紅の幕とボックス席が!
それだけでブチ上がる!

開演前のざわざわした空気ってどんな演目でもたまらなく好きだ。
オーケストラピットをのぞくのも楽しい。
ミュージカルは生オケでなければいけない派の人間でございますどうもどうも。


全体的に年齢層が高め。


キャストはファントム役、ファウスト役はテレビのオーディション番組で出世した人、
クリスティーヌ役は動画サイトでの投稿で注目された人。何というか時代だなあと思うわし。

上演前のアナウンスが通常のアナウンスの前に「パリ・オペラ座へようこそ」とはいるのが心憎い。

この作品は「原作に忠実なオペラ座の怪人
ということでロマンスよりもホラー要素が強め。

歌は19世紀のオペラの曲に歌詞を乗せるというもの。

ふと小学生の頃、母親の影響でクラシックが好きだったのを上品ぶってるとか気持ち悪いとか言われて腹が立ったことも思い出してしまった。


アイドルの歌なんて興味ないとかいうお前のことをおかしいと無理やり自分の好き好んで聞いている曲を無理やり聞かせるという姉のことも思い出し怒りが私の身体の中で燃え上がり、その怒りの核になった「あるがままの自分の愛する世界を否定された悲しさ」をこの時代の音楽が全て包み込んで高揚させてくれてあっという間にどうでも良くさせてくれた。
ケン・ヒルよありがとう。世界は美しい。

 

ただまあなんだ。字幕が見えにくい。
アンケートでももちろん文句言った。

 

笑った演出として
支配人のオフィスに厩舎の馬丁が「白馬が盗まれた」の説明をするときの部屋の照明を落とす振りと灯りが落ちるときのカチカチいう効果音!
この場面では朝なんだけど昨夜起こった出来事で、怪人が攫っていった!という怪異感を出すためにわざと暗くするというのがありましてですな。

それがなんかおかしかった。

感性が昭和!脚本書いたの英国人だろ!なんで昭和のコントのノリなんだよ!

ラウルー!うしろうしろー!とかなんとか始まりそう。

 

ギャーピー管理人のオフィスで騒ぐ面々が気付かないところにデスクの後ろから現れる手袋に黒ジャケットの腕!

そう!ファントムが現れたのを観客だけが知っている。あらゆる仕掛けを自分の城であるオペラ座に用意し、それを駆使して支配人から下働きまで翻弄するファントム!

恐るべしファントム!

 

腕だけで存在感て何だよ。昭和ネタついでにガラスの仮面かよ。

 

凡庸な少女をスターダムにのしあげたという意味でファントムは月影先生てことでいい?

 

ジーナと5つの青い壺な。

 

クリスティーヌ……恐ろしい子!(やめなさい)

 

馬の名前はカエサルて!シーザーで良いべ?英語で!クリスティーンもリシャードも英語読みなんだから!

 

ムカついた点も指摘していいかな。
2幕の地下室に降りていくあたりで携帯が鳴った。
これ演出じゃないよね?一気に19世紀から現実に引き戻されたよ。


巨大樹の森でライナー・ブラウンにマジ切れするエレン・イェーガーみたいな顔に内心なった。


「てめぇふざけてんのか」

 

って梶裕貴の声で鳴らした奴に怒りたくなったよ。

地震がこの月の初めにあったばっかりだから、地震速報が入るようにしておきたかったのかもしれない。
しておきたかったのかもしれないがせめてマナーモードにしてくれ。
3.11のあと関東でも緊急地震速報があるから切るなとかいう話もあったとかいうが頼む。ほんと頼む。


原作に忠実ということでペルシャ人が出てきてくれるのが嬉しかったんだよ。
ペルシャ人好き。原作でも。スーザン・ケイのスピンオフでも。


「拳銃をこう構えるのです ハァッ」

ハァッてなんだよ波ァッて字ィあてんぞ。Y談おじさんかよ。

「フランス人らしく死にたい!」っていうラウルとラウルのパパンがラ・マルセイェーズをしょって心臓を捧げてくれるのにニヤっとしてしまった。

前回日本で上演したときの映像確認してみたらそんな演出なかったのにどういうことなのw
頭の中で自由の翼が鳴り響いたわ。装飾音がうるさいラジオ体操のような自由の翼流してくれ。
千秋楽の日は最後の進撃フェスの日だったのを思い出してしまった。


さてわしがいったのは千秋楽。ベン・フォスタースペシャルアンコールがある日だった。
このヒトはな、オペラっぽい方よりロックっぽい歌い方のが性に合ってるんだろうなって感じがした。

ファントムの時の「声で人を魅了し操る魔力のような力がある」という声がたまらん!

たまらんのだけど!ゲッセマネジーザスの独唱な、体中の血が沸騰させられるんじゃないかってくらいとんでもない衝撃があったんだよ。

 

うん。無理してでも見に行って良かった。


ベン・フォスター自由の翼歌ってくれたらわし泣くかもしれん。
Revoさんオタクの上級国民なんだからちょっとベン・フォスター自由の翼歌わせて見せてくれんですか(無理を言うな)


ついでにポール・ポッツOne Day More歌ってくれないかな。あの人の経歴から鑑みるとものすごく重みのある歌になれるんじゃないかと思うんだよ。
マチュア時代ミュージカルに出てたって言うじゃない。
ポール・ポッツレ・ミゼラブル上演されるんだったらわし這ってでも見に行くよ。

 

19世紀の華やかなりし時代のフランスの空気を引きずったままヒカリエにはオーバカナルがあったじゃないか!オーバカナルで食事して帰ろう!と思ったら同じ考えの人がいたらしく大行列だったため諦めて同じ階のハーベストカフェへ。

 

お茶飲んで感動も冷めやらぬまま少し休んで帰りました。
後ろの席のねーちゃんがレイヤーみたいな単語を話していたので何となく身構えてゆっくりできなかったのが少し残念。

 

いや、こういう感性の人間だもんでね、普通のオタクの人の感覚と距離がありすぎて居場所がないのだよ。だからこうして壁打ちをしているのさ。

ああ、一緒に観劇できて共感できる相手がいる人は幸せだね、と思いながら渋谷を後にした。