教室で出来ることに限界があるから必要なんだ!
と言ってる人がいたけれどさ
「金持ちのやる役に立たない無駄な活動」
「観劇が趣味なんてお上品な奴」
「上級国民だねえw」
みたいな人が当たり前にいるのに「移動演劇教室」「移動音楽教室」って意味があるんですかねと思ってる
心に響く人が一人でもいればそれでOK!
という狙いなのかもしれんけど、引率の教師でも音楽聞きながら寝てたり、若者向けとされてる演目を死んだ魚のような目で見てるのを見ると「やってる意味がねえ!」と思うんですよな。
生徒は生徒でこんなものよりアイドルを見る方がよっぽど良いとか言うしな。
日本のアイドルて♂も♀も「異性からの性的な目線」にさらされて、それが「あるがままのボクを愛してくれる理想の女の子(笑)」とか「キラキラの王子様が自分に投げかけてくれる恋心」の名状しがたきイメージのようなものを歌っているのを見るとうすら寒く感じるのよな。
そういうような人にさ、響くか?
教師とかの大人が見せたいものってそういうものと真逆のものでしょ。
そういう「文化的」なものの中にも現代人と通じるものがあるんだとか学ばせるために移動演劇教室とは芸術教室ってあるって言うけどさ、受け取る側として想定されてる生徒はそれをハナから拒絶してるし、大人の方でも「お勉強」として押し付けても本音では「上品ぶったお高く留まったクソみたいな文化」と思ってて。
今様の音楽が好きではない人間に、「それはおかしい」って「教えてあげる」のは許されるのに、逆の立場になれば「押し付け」と反感を買う。
演者の立場だったら絶対行きたくないよそんな人間であふれかえってるところ。
しかも音響効果最悪の体育館、いいとこ座席はパイプ椅子で特別感とか無理があんだろ。
運良くホールを借りられたとしても興味のないものを押し付けられた子供なんて爆弾みたいなもんだぞ。
俳優さんとか演奏家さんのストレスの元にならないためにこんな企画ない方が良いんじゃない?
と考えてしまうんですな。
まあ「普通の人」って残酷だねという話ですわ。